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今の時代に必要なのは経済学ではなく社会学

少し前の話ですが、ほりえもんの宣伝ブログにて、日本の景気活性化について触れ、解決策としてこんな事を書いている。

たくさん貯蓄をタンスに蓄えて優雅な老後を過ごしている老人が、そのお金を若者に投資するべきなのだ。
投資の方法は、株を購入することでもいいだろうし、銀行に預金するということでもいい。

これに対して、すかさずひろゆき氏がブログで、タンス預金の必然性を書いて反論してるわけだが。

ほりえもんの考え方は、ありがちな「できのわるい経済学」の理論だ。できの悪い「シムシティ」=シュミレーションゲームといってもいい。

できの悪いシュミレーションゲームでは、何らかの意思を持って、感情を持って行動している「人間」と、それ自体には意思のない「カネ」とをまったく同等のデジタル記号として扱い処理してしまう。そこに「できの悪い経済学」の限界がある。

ひろゆきは「タンス預金が損」だから、老人は預金しないといっていて、それももちろんあるだろうが、私は根本はもっと違うところに問題があると思う。

近代社会では、ものを大量に(=実際生活に必要な以上に)売りさばくため、モノにたいして付加価値という記号をつける。

たとえばダイエット用健康器具のCMでは、実際の器具に加えて筋肉隆々な男女を登場させ、いかにもこれを買えばCMの人たちのようにカッコよくなるようなイメージ=付加価値としての記号をつける。

これは英会話教材でも、液晶パソコンでも、プロ野球でも同じことだ。野球なんて、客観的にみればただの他人が球を投げて、それを他人が打って、それを私たちは「遠くから見ているだけ」だ。しかし巧みな宣伝や新聞社の戦略によって、そこに「夢」という付加価値的な記号がつけられる。そうでもしなければ、退屈な「見てるだけ」行為に、誰もお金など払わない。

では、老人はなぜタンス預金に走り、お金を使わないのか。答えはそれこそ簡単。
お金に「安心」という付加価値的記号をつけているからだ。

できの悪い経済学では、お金は単純なモノとの交換過程として処理されてしまうが、人には感情がある。中には(=特に年老いた人の多くは)、お金そのものに付加価値的記号「安心」を付与し、満足してしまう人もいる、そして日本にはそういう人が多いというわけだ。

彼らだけを責めるわけにはいくまい。ただの紙切れであるお金に安心という付加価値をつけるのは危ういことではあると私も思う。しかしそれは、ほとんどの人がやせない健康器具を「やせる」という付加価値イメージをつけて売りつけたり、もっとひどい例えだと、ただ球を投げたり走ったりしている他人の姿を遠くから見ている人に「夢」などという実証不可能な付加価値をつけて売りつけてしまうことに比べれば、タンス預金に対する安心という付加価値はむしろ妥当といえるのではないか。