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本は、本来の役割に専念しはじめる

端的にいうと、「本」というメディアが、インターネットの登場により一世代過去のメディアになったということだろう。一世代過去のメディア=(紙媒体は)やがて消える、という意味ではないが、少なくともその役割は変わっていくのだと思う。

本とネット

僕は大の本好きなのであるが、最近つくづく思うのは「本は永遠である」なんて全くの嘘だな、ということ(自分で本を出してみる前はそんな幻想も抱いていた)。出版社の事情もあるだろうが、今の日本では、よほど売れる本以外、ほとんどの本が出版から3-5年で入手不可能になる。<中略>。本という一見保存性の高いもののほうこそが「コンテンツ消費のための刹那的利便性」ゆえに存在し、一瞬で消えていってしまう感じがするネットのほうこそが、保存・検索のためのメディアということなのかなぁ。

グーデンベルグの活版印刷術以降は、本とかCDとか、「パッケージに閉じる」ということが、近代社会においては民衆の価値観の固定化、(皮肉っぽくいえば、政府や会社にとって都合の良い)風説の流布、大量生産大量消費社会の形成に密接にかかわってきたと思う。

もっともわかりやすいのが「聖書」の類だ。それまでの伝承としての宗教が「聖書」としてパッケージに閉じられることによってはじめて、全世界でのキリスト教の大量生産大量消費を可能にした。音楽でもそうだ。人間が演奏する、すなわち手作りの「コンサート」は大量生産できない。「レコード」としてパッケージに閉じてしまえる技術が生まれたからこそ、大量生産が可能になった。

つまりもともと、現在の本とかCDとかの「パッケージに閉じるコピーなメディア」は、大量生産大量消費(梅田氏の言葉を借りれば「コンテンツ消費のための刹那的利便性」)のために生まれたメディアであると思う。情報を保存し検索するためという目的は、副次的なものに過ぎない、20世紀段階では紙に変わる他にテキトーなメディアが無かっただけのことだと思う。

つまり今後、本は、「消費される」ためという、本来の目的に専念をはじめるのだと思う。情報を保存し検索するためという目的は、ネットなど、新しい別のメディアが担当することになるのだろう。

もはや読んでしまって消費された本は、BookOffにいって再利用されるか、捨てられ廃棄処分されるか、購入者の書庫に(本としてではなく)オブジェとして飾られるだけになるのだと思う(ま、今までもそうだったんだけど、今後ますますその傾向は強くなる)。

もっとも、本が売れないといわれる昨今でも自費出版の需要はそこそこあるように、コンテンツや情報を生み出す側の感覚には「パッケージに閉じる=本」こそがオリジナルでステイタスなメディアだという意識もあるようだが。しかしそれは、製作者側の過剰な期待がそう思わせるのであって、コンテンツ消費者側からすれば、ほとんどの本が斜め読みで消費されてポイ捨てというのが現実かと思う。

捨てられる=そこに書いてある情報に価値が無い、本というメディアに価値がないという意味ではない。大量生産大量消費とは、古いものが捨てられていかないと成立しないシステムだから、「よほど売れる本以外、ほとんどの本が出版から3-5年で入手不可能になる。」のはある意味当然なのだと思う。