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カネとナニカとこれからの10年

人間は、何かを「獲得する」ことに意義を見出す動物だ。それはブランド物のバッグだったり、食器洗い乾燥機だったり、おいしいフランス料理だったり、ビンテージのジーパンだったり、会社などでの「地位・役職」だったり、様々だが。しかし、20世紀の日本は、その獲得の中心にあったのは「カネ」だった。中には何に使うでもなく「カネ」そのものの獲得を頑張る人までいた。

「これからの10年」は、その構造がガラリと変わる可能性がある、つまり社会が「カネ」中心で回らなくなる可能性があるということだと思う。


梅田望夫さんが見ている、どこか遠い世界

こんなことに戦々恐々としなきゃいけないのだから、上昇志向のある方々はお疲れ様。私は社会の底辺で細々と生きていければそれでいいと思っているから、梅田望夫さんのおっしゃるような危機感には縁遠い。

言葉の表面だけみれば「徳保氏が梅田氏を批判している」ようにみえるが、実際は違う。
梅田氏も徳保氏も同じ世界を生きている。決して梅田氏が徳保氏からみて「どこか遠い世界」にいるわけではない。むしろ逆で、徳村氏のような発言がブログによって表に出てくる、そしてそれに共感する人が増えてくることそのものが、逆に梅田氏のいう「人生の厳しさ」に直面する人が増えてくるということを、証明してもいるのだと思う。

20世紀の日本は、カネ中心にまわっていた。みんなが獲得を目指したのは「カラーテレビ」「洗濯機」「冷蔵庫」「車」「家」、そして挙句の果てに「トイレットペーパー」など、どれもが「カネ」で買えるもだった。つまり端的に言えば、20世紀はとりあえずみんな「カネ」を獲得し、カネを通じて豊かになろうとしていたわけだ。

しかし、冷静になって考えてみると、人間が根底から欲しているものは「獲得した」という充足感や満足感、「人と違うものを手に入れた」という優越感だ。そしてそれは何も、「カネ」あるいは「カネで買える物」にこだわる必要は無い。例えば「情報」でも「トラックバック」でもいい。

オープンソースなんかが典型だ。なぜわざわざ、自分が手間ヒマかけて調べた情報やプログラムを「公開」するのか?隠すより公開した方が「カネ」になるから、ではないはずだ。

オープンにすることによって「カネ」ではない「何か」が得られるからだ。この「何か」に対してピッタリ当てはまる言葉が見当たらないが、とりあえず「ナニカ」と命名してみる。

「ナニカ」が実際何なのかは各人によってバラバラだが、ひとついえるのはナニカの獲得に必ずしもカネは必要ない。自らのボランティア活動によって「ナニカ」を獲得している人も、自分のブログを持ってトラックバックやコメントから「ナニカ」を獲得している人も、あるいはドラクエでフィールドをくまなく歩いて宝箱を取りまくって「ナニカ」を獲得している人も、その獲得手段に「カネ」はほとんど使っていない。「カラーテレビ」「洗濯機」「冷蔵庫」「車」「家」を手に入れるのに「カネ」だけが必要なのとの違いは大きい。

「知の創出」のコモディティ化への戸惑い

では「飯を食うための仕事」という部分では純粋に何が大切なの? という話になるとやはり「対人能力」なんだろうな。そこをきちんと意識しておかないと、つぶしが利かないんじゃないかなぁ。そんなことが言いたかったのである。

この辺、私の立場に置き換えて、単に「イラストを描く」「コピーを書く」「ホームージを作る」だけじゃだめで、対人能力が必要なんだよ、作るのは誰でも当たり前にできる、下手すりゃタダでできる、それ以上の能力が求められているんだよって解釈した。そして、それは正しいと思うが、それができたら「年収1000万」か、といったらそういうわけでもあるまい。300万円の年収を継続して確保できるか、せいぜい400万程度に上がるだけだろう。が、それも確かに「飯を食う」ためには必要なことだ。

カネの代わりにナニカを獲得する「味」を知った人達は、次々とプログラムや情報をタダで公開する。今までカネを通じて買っていたものが、作者にナニカを与える代わりにタダで手に入る。結果として、社会全体で「ナニカ」の流通量が増え、逆に「カネ」が動く割合がものすごく減ると思う。「対人能力」があっても、それはただモノを作るだけの人に比べれば「マシ」ってレベルに過ぎない。もちろん、超天才は別だが。

再度、引用。

梅田望夫さんが見ている、どこか遠い世界

手取年収200万円あれば食うには困らない。年収1000万円なんて一般人には手の届かない世界なのだし、次の10年を考えるより「年収300万円時代を生き抜く経済学」でも読んだ方が幸せになれる

究極的には、上記のような言葉が、「インターネットのおかげで、あるいはインターネットのせいで」カンタンにみんなに広まっていくことそのものが、梅田氏の危惧するところなんだと思う。カネに執着がない人が増えれば増えるほど、情報はどんどんオープンになり、モノを作る行為に対する価値が下がり、モノを作っても買ってくれない時代になる。特に「カネを得る」ことにしか興味を持たなかった人間は、この先10年は辛いだろう。新しい考え、アイデア、仕事の進め方を否定し、どんどん保守的な考えに追い込まれ、その結果どんどん時代と逆方向にもがいてしまう悪循環に陥ってしまう、しかも唯一の拠り所だった給与=カネも減らされる。。。そうはなりたくないもんだ。

ま、うまくまとまんなかったが、とりあえず私的な結論。
ナニカを得たり与えたりするのに喜びを得る生活を維持するためには、少なくとも「食うには困らない」状態は維持しなきゃいけない。ナニカでは米は買えない。ので、梅田氏のいうように、「飯を食う」ためには、最低限の努力は必要だ。単にホームページが作れる、といった以上の努力が。

しかし、その最低限のラインさえクリアしていれば、それ以上のカネに「こだわる」必要は無い。もちろん貰えるカネは貰っとけばいいが、カネより「ナニカ」の方が、税金もかからない分、お得感があるし。

会社には内緒で、売り上げより自分の興味を優先させて仕事をするのも「あり」だろう。ただしここでいう「興味」とは、自分のやっている仕事と違う分野だ。イラストレーターならイラスト以外のこと、ライターならライティング以外のこと、Webデザイナーならホームページ以外のことでないと駄目だろう。



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