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私は本当に「勉強のできる人」ですか?

ま、私も含めてたいていの人間は、「もし今日、自分が会社を休んだら困るだろうな」とか、「自分が辞めたら困るだろうな」とか思う、っていうかそう思っていたいんだな。

あるいは別のたとえでいうと、たとえば得意先の営業マンなんかに「○○さんってもったいないですね、こんな大きな会社でなければとっくに課長になれてるのに」「○○さんだったら、ぶっちゃけもっと大きな会社に行けたでしょうに」とかいわれて、本気でそういう美しき誤解をしている、というかしていたいっていうか。

勉強のできない人から職を奪う生き方の提案

私がこの意見に共感しないのは、外部の人間がうちの会社へやってきて、事務作業を無料でやってくれるとは絶対に考えられないからです。私がやっているデータ取りの作業だって同じ。誰がタダでやるもんか。

「イラストを描く」「コピーを書く」「ホームージを作る」といった作業を、依頼主の希望通りに期日を守って無料でやってのける人がたくさん出てくることは考えられない。いくら値崩れしたって、必ず人手をかけなければ作れない複製不可能な仕事については、最低限の値段が維持されるはず。そのための労働基準法でもあるのだし。

「私がやっているデータ取りの作業だって同じ。誰がタダでやるもんか。」っていうのは、おそらく、たいていの働いている人が思っているんだろう。「私がやってる○○の作業だって、誰がタダでやるもんか」ってな風に。

ところが実際、私の会社で総務部の4人中1人、Web部門の4人中1人が辞めたが、欠員は補充されていない。それでも会社は機能している。つまりそれは、その辞めた人の分の仕事を「誰かがタダでやっている」わけだ。たいてい人間の作業は簡単に誰かに引き継がれていく、そして引き継がれる過程で「より効率的な方法」「本当に必要な仕事と、よく考えれば不必要な仕事」が吟味され、結果として欠員を補充しなくても会社は何事も無くまわっていく、というのはよくある話だ。

『「イラストを描く」「コピーを書く」「ホームージを作る」といった作業を、依頼主の希望通りに期日を守って無料でやってのける人がたくさん出てくることは考えられない。』っていう言説も、おそらく勘違いをしている。

イラストはイラストレーターが描き、コピーはコピーライターが書き、ホームページはWebデザイナーが作る、とは限らないのがこれからの10年だと思うわけだ。

コンピュータが発達して作業がどんどん効率化し、ソフトはどんどん進化してより「素人」でも使いやすくなり、無料あるいは格安の素材集やフリーソフトがどんどん公開され、インターネットや検索エンジンの発達でわからないことが簡単に調べられるようになると、イラストもライティングもホームページの更新も、イラストレーターでなくライターでなくWebデザイナーでもなく、クライアント自身が行えるようになる。

現に今、そうなりつつある。私がかかわっているあるメーカーの製品ページで、ライターが考えたキャッチコピーやサブコピーはほとんど原型をとどめずにどんどん書き換えられている、クライアントの自身によって。そしてクライアントの担当者がその分増えたか、というとそうでもない。つまり、「コピーを書く」って作業をクライアント自身が期日を守って「無料で行っている」。

素人が書いたコピーなんて駄目に決まってるって?ところが、客観的な立場にいる私がみると、そうでもない。おそらくSEO的なことを一通りネットで検索したんだろう、検索エンジンを意識しているという点で、理にかなったライティング=「必ず人手をかけなければ作れない複製不可能な仕事」を「素人が」している。

もちろん、ネットやコンピュータがどれだけ発達しても、「素材集にはないイラスト」「素人では書けないライティング」「ブログやCMSでは作れないサイト」ってのはあるだろう。だがそれは、イラストレーターが、ライターが、そしてWebデザイナーが思っているほど多くはないはずだと思うわけだ。

自分のプライドから、自分の代わりは誰にも務まらない、あるいはそこまでいかなくても、自分が辞めたら誰か別の「1人」を雇わないといけないだろうと思っていると、足元をすくわれると私は思うのだ。

そして、そういう低いレベルにおいては、勉強ができる人はできない人より優位であり、ほとんどそれだけで生き延びていけるのです。

<中略>

年収300万円で納得できるなら、お勉強のできる人は幸せになれます。ただしそれは勉強できない(しない)人から仕事を奪った結果です。でも自分ひとりの幸せを考えるなら、まずはそれでいい。私が書いているのは、そういう残酷な話です。

上記の意見は間違っていないと思うのだが、非常に危うい言説だとも感じる。なぜなら、私も含めてたいていの人が、自分を「お勉強が(やれば)できる人」だと考えていると思うからだ。「勉強ができる」っていうのは、本当に「漢字が読み書きできる」「2桁×2桁の暗算ができる」っていうので大丈夫なのか。

自分は勉強ができる方だと思っている、「こんな大きな会社でなければとっくに課長になれてる」と思っている、「ぶっちゃけ、もっと就職活動を頑張っとけばもっと大きな会社にいけた」と思っている、「まあ今の仕事クビになっても、ぶっちゃけ時給900円のパソコン教室の教師くらいにはなれる」って考えてる人の多くが、いざ、職を失った時、どーにもならなくなるんじゃないか。っていうか、もう既にどーにもならなくなってる人もいるんじゃないか。

私はそうはなりたくない。私が書いているのは、そういうかなり残酷な話です。



コメント

私は「ホームページを作れてイラストも描ける事務系の派遣社員」という生き残り方があるよ、と書いたつもりなんです。今後、デザイン会社の社員として生き残るのは難しい。だから、単なる事務員として派遣されているんだけど、じつは多彩な能力を持っています、となれば非才の人間より優位に立てる。……こうして有能な人が下位侵食していくとどうなるか。当然、非才な人が居場所を失うわけです。それが私のいう「残酷」です。

徳保様、こんにちは。
私は、徳保さんの考え方は承知してるつもりですよ。そして、大筋では間違っていないとも思いますよ。

ただ、自分を「有能」な側と過信して、「まあそんなにあくせく努力しなくても、非才な人を下位侵食すれば、オレがメシを食う分には大丈夫」って思ってしまうのは「私の場合は」危険かな、と思っただけの話です。