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コメント欄炎上が日常化する時代

非常に個人的で全然関係ない感想なんだが、先週放送されたばかりの「涼宮ハルヒの憂鬱 9」を連想してしまった。祭りが常態化し、日常へと組み込まれていく様。もはやブログやサイトの炎上は、「祭り」ではなくインターネットの日常と化してしまった感がある。

花岡信昭ウェブサイト - my weblog : 「モーニング娘。」が日本語を壊した
花岡信昭ウェブサイト - my weblog : 「。」と「、」と「遷移」

簡単に説明すると「モーニング娘。」を「冗談で」日本語誤用の元凶だ、みたいなことをいったのが、多くの層に反感を買ったようだ。

このブログに限らず、最近では2ちゃんねる(特にVIP系)のまとめサイトの大半が閉鎖空間に追い込まれるなど、もはや「コメント欄が炎上する」ことが状態化しているような気がする。ちなみに、「涼宮ハルヒの憂鬱 9」を連想したというのは、祭りが日常となるという意味で同じじゃないか、という点だ。ハルヒが無茶な事を押しつけてくるひとつひとつが「事件」であったはずが、もう半年も経つとテレビで流れる「この紋所が目に入らぬか」などと同様に、日常へと組み込まれている。

少し話がそれたが。

では、なぜ最近になって、コメント欄の炎上という「祭り」が日常化してしまったんだろうかと考えてみる。

例えばこの「花岡信昭」氏は(おそらく若い人ではなく)同年代を読者層の中心だと設定し、文章を書いたんだろうと推測される。普段から、そういう人向けに講演などをやっているのかもしれない。だから、『「モーニング娘。」が日本語を壊した、いやそれは半分冗談だけど、でもなんであんな歌が下手なのに売れてんだろうね。』なんて小ネタを挟めば、読者は喜んでくれると思ったに違いない。というより事実、喜んでいた読者層もいただろうと思う。

これまでの「リアルな社会」や、あるいはインターネットの検索技術等がまだ乏しい「Web1.0」くらいの時期だと、想定読者層以外のグループの人間が乱入してくることはなかった。グループはそれぞれのテリトリーで物理的に住み分けられていた。例えば「日本語の誤用問題を考える」なんて講演会があったとして、そこでエライ先生が「モーニング娘。」をおもしろおかしく言おうとも、それに対して意義を唱える若者なんていない。といより、最初からそのような若者はそんな講演会などいかず、それこそ「モーニング娘。」のコンサートに行っているのだから。

しかしWebが1.5から2.0へと発展していく中で、お互いに距離を置いていた別々の思想のグループが、簡単に互いを発見し批評(あるいは攻撃)できる時代へと移ってきている、ということだろうか。Google等のページ検索技術の向上、RSSやブログ検索の発展によるリアルタイム検索、そしてソーシャルネットワークやソーシャルブックマークによる「可及的速やかに」情報共有が可能な世界。

もう少し具体的に言うと、たとえば「モーニング娘。」の熱烈なファンならば、関連のブログやオフィシャルサイトをブックマークしているのはもちろんのこと、「モーニング娘。」という言葉をlivedoorブログ検索からRSS吐きだして、常にチェックしている人がいるかもしれない。そういう人が、たまたま花岡信昭氏が「モーニング娘。」をバカにしているような文章を見つける。そして、2ちゃんねる、mixiやはてなブックマーク、ブログ等を通じて、あっという間にインターネット利用者に広がっていく。

おそらく花岡氏が想定していなかった層に、想定していなかったスピードで、この言説が広まっていったに違いない。

さて、この記事にこれ以上のオチはないんだが、今後この混沌とした世界がどっちに行くのかについては、少し興味がある。つまり、これまで断絶していたグループが、初期の段階ではこの花岡氏のブログのように見解の相違によって「炎上」しつつも、そのうち情報の共有化によって思想は一方向に統一され、「地球村」のようになっていくのか。

それとも、情報は共有化されてもそこから導き出される思想は統一されず、この花岡氏のブログのように「コメント欄炎上」がweb2.0の日常と化していくのだろうか。