« 「ポークジンジャー弁当いかがですか~」 | メイン | 「フラット化する社会(上)」読了 »

【仮説】長門有希が人間化しているのではなく、人間が長門化している

無機質で無愛想、聞かれたことだけは検索結果を返し、それ以外はひたすら本ばかりを読んでいる対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース、長門有希。しかし、出会いから少しずつ季節を重ねるにつれ、彼女は微妙に表情を変化させ、感情の揺れなどを表現するようになってきた。

と、俺は思っていた。しかし、ふと思い至った。

もしかして、逆なんじゃないか。つまり長門有希が人間に近づいているんではなく、人間が長門有希化しているんじゃないか、と。

そもそも、人間にしろコンピュータにしろ、情報を処理する個体というのは、おおまかに分けて3つの要素から成り立っている。情報計算処理、情報保存蓄積、そして情報の入出力である。で、もちろん人間や、初期の単純なコンピュータなどは、この3つの要素をひとり(1台)で全てこなしている。

しかし、長門有希は違う。彼女は「情報の入出力」と「情報の計算処理」は行っているが、情報を引き出し元は情報統合思念体からである。彼女自身に情報は保存蓄積されていなかった。もともと、彼女は情報統合思念体と人間の、単なるインターフェースでしかない。

彼女は時々、人間業ではない驚異的な能力を発揮して見せたり、不可思議で誰も説明ができないような現象に対しても正確な解説をしてくれたりするが、彼女自身がそのような処理を行う元となる経験や知識情報を持ち合わせているわけではない。知識の大元は「情報統合思念体」なのである。そして彼女はそこから情報を入出力しているに過ぎない。

しかし、最近では微妙に笑ったり、俺にしかわからないような冗談をいったりするようになってきたように思う。そしてそれは、長門有希が単なる情報入出力装置にとどまらず、日々のSOS団の活動などを通じて少しずつ「情報統合思念体には出力しない」で長門有希個体そのものに情報が蓄積されてきた、すなわち普通の人間と同じように情報の3つの要素をひとりでこなすようになり、より人間に近づいてきた証拠だと思っていた。彼女自身に「情報保存蓄積」する能力が備わってきたんだと思っていた。

しかし、本当にそうだろうか?もしかして、逆なんじゃないか?

俺たち人間の方が、自身で情報を保存し蓄積する能力を少しずつ失っているんじゃないか。自分では「情報の入出力」と「情報の計算処理」だけを行い、情報蓄積保存は携帯電話やPCを通じて「インターネットのあちら側」に任せてしまっているのではないか。そう、長門有希が情報の入出力と計算処理だけを行い、情報の蓄積保存は「情報統合思念体」に依存しているのと同じように。

微妙に長門有希の感情がわかるようになったと思っているのは、実は自分が長門有希と同じ立場、つまり「情報の入出力と計算処理だけを行い、情報の保存蓄積は外部に任せる」存在になりつつあるからだろう。アンドロイドが人間化しているのではなく、人間がアンドロイド化しているのか。

今や、パソコンと携帯電話からインターネットのあちら側「情報知」へアクセスすれば、たいがいの事は瞬時にわかるようになった。はじめていくような土地でも、何も恐れることはない。PCかケイタイがあれば、瞬時に周辺地図が表示される。あらかじめ道順を記憶しておくようなことは必要ない。ちょっといい携帯電話やカーナビだと、「つぎの信号を左折です」などと教えてくれる。わからないことがあれば、たいがいのことはGoogleが教えてくれる。

まだまだ誤差も表記揺れも多く、多少頼りない面もあるが、「インターネットのあちら側」というのは、実は長門の情報保存蓄積先である「情報統合思念体」と同じ種族なのではないだろうか。

あるいはもしかしたら、梅田 望夫氏のいう「インターネットのあちら側」「情報発電所」というのは、実は長門のいう「情報統合思念対」と同じではないかとすら思う。俺たち人間が長門のような行動が取れないのは、つまり長門より「情報の入出力」と「情報の計算処理」の能力が劣っているからだけなのではないだろうか。


【関連記事】
【仮説】長門有希は3年前までGoogleだった:CSSを使いこなす