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ミスチルのアルバム「HOME」を購入

ミスチルのアルバム「HOME」を購入した。

僕のした単純作業が、この世界を回り回って
まだ出会ったこともない人の笑い声を作っていく
そんな些細な生き甲斐が 日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に、少ないけど 赤、黄色、緑

-彩り-

近代社会とは端的にいえば、ムラ社会と違って「他人」を信頼あるいは信用して生活していく度合いがかなり高い社会である。ムラ社会では、そのコミュニテイの多くが親戚だったり顔見知りだったり、少なくとも同じ宗教を信仰していたりするが、近代社会はそうではない。

たとえば、私がいつも利用する通勤電車の運転士や車掌が誰なのか知らないし、昼に食べた弁当も誰が作ったのか知らない。まして、誰が釣った魚とか誰が作った米なのかなどわからない。運転士や車掌の名前ぐらいは調べればわかるかもしれないが、名前を知ったところでどうしようもない。ムラ社会と違って、どこの誰だが知らない人に命を預けて運転してもらい、どこの誰が調理したのかわからない食べ物を食べるしか選択肢がない場面が多くなるのが、現代の特徴であると思う。

現代では、多少大げさに言えば「他人に気軽に命を預ける」ことで、合理的に経済が動き、豊かに発展してきた。しかし一方で、そう簡単に他人を信用していいものかという葛藤も常に抱えている社会でもある。

なので、食品に関するデマは流れやすいし、風評被害も大きい。一時期「ハンバーガーの材料は牛肉でなくネズミだ」なんて都市伝説が流れたりしたが、つまりそいうことだろう。アルバイト、つまり他人が作った食べ物が本当に安全なのか、という心の奥底にある不安が、こういう都市伝説を産む。

また、賞味期限切れの材料を使ったなどと報道があれば、実害以上に不安が広がる。「他人」を当たり前に信用して、他人の作った食べ物を口にしてきたのに、その「当たり前」の前提部分が揺さぶられるからだろうと思う。

しかし一方で、他人への疑念は、そのまま自分の普段の行動に対する裏返しでもある。他人に対して、自分は誠実な仕事を行っているだろうか。自分が自信をもって口にできる食べ物を、人に提供しているだろうか。とても自分では買わないようなモノやサービスを、顔が見えない他人に騙して売ってはいないだろうか。と、そんなことを考えてしまう歌詞だった。

僕のした単純作業が、この世界を回り回って
まだ出会ったこともない人の笑い声を作っていく