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長男「セイゾウ」がそのお下がりを弟たちに着せる、の雑感

自分が毎週結構楽しみにしていたネットの無料コラムの中の人が、なんだか弱音を吐いている。ネットのコメント欄など「必要以上には」気にする必要はないと、頭ではわかっていても、やっぱりこたえるものらしい。この人の着眼点とか冷静な視点とか、好きなんだけどなぁ。本気で辞めたいと思っているなら、残念だ。

長男「セイゾウ」がそのお下がりを弟たちに着せる (宋文洲の傍目八目):NBonline(日経ビジネス オンライン)

僕は企業家精神の後退は企業家の問題ではなく、雇用形態に代表されているような長期にわたって「セイゾウ」という名の長男を優先した結果だと思います。人材も集まらないのに事業のリスクが高すぎます。それでも勇気を出して成功する人が多くいますが、諸外国と比較してまだ少数であり、なかなか大手まで成長できないのです。

<中略>

セイゾウに偏ってきた経済、政治が文化までに影響を及ぼし、人々の意識を偏在させているところに問題があります。

何度かこのブログでも書いたことがあるかと思うが、私も同感だ。特にバブル崩壊後の日本は「モノ作り」を重視し過ぎていると思う。確かに高度成長期の製造業は、世界基準以上の優れた製品群を生み出してきた。「モノ作り」の完成度の高さが日本の原動力だったことは間違いない。

しかし、その時代は終わった。にもかかわらず、宋文洲氏のいうように、未だに日本は「セイゾウ」重視から抜けきれないように思う。

特に近年では、日本よりアメリカより、ヨーロッパ圏の安定した成長が目立つ。ポンドを日本円に換算すれば既にロンドンの地下鉄初乗りは1000円以上だし、ユーロも160円を超え、最高値を更新中だ。

そのヨーロッパ諸国が作る製品は、メードインジャパンより「モノとして」それほど優れているのか、といえば、そうは思わない。しかし、日本人を含めて世界の多くの人がヨーロッパに旅行に行きたがり、ヨーロッパ諸国の時計やブランドバッグやお土産のワイン・チョコなどを買い漁る。

明らかに、ヨーロッパ諸国がつくる時計やブランドバッグは「セイゾウ」されていない。もちろん、製品が世界基準より悪ければ、どうしたって売れないが、ある一定水準を超えた昨今では、単にモノだけの価値ではなく、それに付加された何か(「ブランド」などと呼ばれるもの)がなければ、絶対的な優先選択肢とはならない。逆に発展途上国との価格競争に巻き込まれていくわけだ。

「モノを作る」事に対して対価を払う、とうのはある意味で簡単だ。が、目に見えるモノを作っているわけではない部分(たとえば「サービス」「プレミアム性」「ブランド構築」など)に対しては、その評価が難しい。そういう働きをしている人たちに対して正当な評価を行うというノウハウが、ヨーロッパ諸国に比べて日本(とアメリカ)は乏しいのかもなぁ、などとも思う。