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匿名実名というよりも、「誰」が責任を取るのか

池田信夫氏は、だいぶ「はてな」が嫌いなようですね。


池田信夫 blog gooブログの品質管理

11日の記事で、「はてなが有害情報を放置してアクセスを稼いでいる」と書いたら、予想どおりネットイナゴが殺到して150もブックマークがつき、はてなの「人気エントリー」のトップになった。世界情勢にも経済問題にも関心がないが、自分の使うおもちゃを批判されると泣きわめく、匿名の精神的幼児の集まりだ(*)。はてなが梅田望夫氏のいう「群衆の叡智」なるものの反例になっているのも、皮肉なものである。

中略

私は「批判するな」といっているのではない。匿名の暗闇に隠れて他人に石をぶつけるのは卑怯者だといっているのだ。批判というのは、反論を覚悟し、それに耐えるように注意深くするものだ。そういう責任も負わない匿名のコメントは、言論の名に値しない。

池田氏の実名匿名うんぬんについての主張は、私にも同意しかねる部分も多いのだが、言葉尻だけをとらえずに、ベースにある池田氏の思想をしっかり理解すれば、はてな批判・梅田氏批判の根底にあるものが見えてくる気がする。

池田信夫 blog ウェブ時代をゆく

日本には著者のほめるジョン・ドーアのようなベンチャー・キャピタリストはいないから、新しいビジネスと起こそうとしても担保がないと金を貸してくれない。P2Pのソフトウェアを開発すると警察に逮捕されるし、来年からはYouTubeからクリップをダウンロードしただけで逮捕されることになりそうだ。著者の期待する「1976年世代」の多くは、就職氷河期に遭遇してフリーターになり、「希望は戦争」だと叫ぶ。日本の名目成長率は、1990年代からほぼゼロで、主要先進国の「最貧国」グループに転落した。アメリカの成長の牽引力となったIT産業が壊滅したからだ。

こういう日本の現実は、著者の目には入らないのだろうか。

「1976年世代」の多くが、就職氷河期に遭遇してフリーターになり、「希望は戦争」と叫ぶような社会になった責任は誰にあるのか。少し前に話題になった「丸山眞男」をひっぱたきたいでは、丸山眞男の責任を糾弾していた。もっとも、行間をきちんと読むとわかるし、詳しくは「赤木智弘にひっぱたかれたくない! - アンカテ(Uncategorizable Blog)」なんかでも書かれているが、「丸山眞男」というのは仮につるし上げた記号に過ぎないわけで。

失われた10年とか、就職氷河期とかで大卒でもフリーターにならざるを得ないような社会を作った責任は、団塊の世代を中心とした「バブル世代」ではないのか。しかしこういう責任論の話をすると、必ず「自己責任論」が帰ってきちゃう。

けっきょく、「自己責任」 ですか

また福島氏は、劣化ウラン弾による健康被害に苦しむ米国の帰還兵の例をあげているが、帰還兵の苦痛は「お国の為に戦って負傷した」という、社会的承認を得やすい苦痛であるからこそ、支援が集まるのだろう。一方、フリーターの苦痛には社会的承認も支援者もない。常に軽蔑の視線を差し向けられ、浴びせられる自己責任論に打ちのめされるだけだ。現に福島氏自身、いや、私に対して応答した人たちのほとんどが「年長フリーターであるあなたよりも、不幸な人たちはいるのだ」と言っているではないか。

ちょっと脱線し過ぎましたか。
話を池田氏にもどしますか。

池田信夫 blog 「就職氷河期」はなぜ起こったのか

問題は、非正規労働者を正社員に「登用」することではなく、労働市場を競争的にすることだ。ゾンビ企業などに「保蔵」されている過剰雇用を情報・金融・福祉・医療といった労働需要の大きいサービス業に移動すれば、成長率を高め、失業率を減らすことができる。そのためには労働契約法で雇用を契約ベースにし、正社員の解雇条件を非正社員と同じにするなど、「日本的ギルドの解体」が必要である。

ぶっちゃけていえば、バブル崩壊させた上に回復もさせられなかった社員は、責任を取って辞めさせろ、ということだろう。誰も責任を取らないで正社員にしがみついていられる社会であるから、社会が滞ってしまう。

はてなブックマークに対する池田氏の批判も、根底にはそういう「責任論」があると思う。つまりたとえば、「子供が産まれて感動した」のようなフツーのブログに罵倒ブクマがついたりしたとき、誰が責任を取るのか。

はてなは「自己責任」を主張したいのだろうと思う。ブログを書いた者と、ブクマをした者同士の自己責任であると。はてなには責任はないのだと。

しかし私はこの点に関して、「本当にそのスタンスでいいのか」と疑問に思う。この自己責任論は、バブル世代がポストバブル世代のフリーターに「自己責任」を押し付けるのと、同じ構造ではないのだろうか、と。

確かに個人がブログを書いているし、ブクマをつけたのも個人だ。フリーターが個人であるのと同じ意味において。しかし、そのような罵倒コメントをインターネット上の「見えやすい位置」に表示させ、結果として罵倒コメントを集めやすい社会を作り出し、さらにそれによって収益を上げているのは、まぎれもなく「はてな」という会社なのではないのだろうか。

それに対する責任を「はたさなくてよい」とは、私には思えないのだが。法律的・道義的にどうというよりも、ビジネス的・ブランド価値的に損だろうと思う。

もっとも、「はてなブックマークをいじりたくない」からこそ、上場しなかったんだろうとも邪推できますが。上場してたら、とっくに株主総会で糾弾され、もっと「スイーツ(笑)」(笑)なソーシャルブックマークにならざるを得なかったろうし。