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映画「恋空」を観てきた

セカチューの2007年版、といってしまえばそれまでだが。原作の携帯小説は読んだことはないが、少なくとも映画はセカチューの「劣化版」ではなかった。今風にアレンジしたら、こうなりましたって感じだ。

~ 恋 空 ~

以下、ネタバレ注意。

まず、前提としてこの映画は、そもそもラブストーリーである以前に「ガッキー」こと新垣結衣の「一種のプロモーションビデオ」的な側面は否めない。なので新垣結衣がどうしても生理的に嫌い、というような人にはまったくもってオススメできない。もっとも、エリカ様みたくきつい感じの人でもないし、演技も安心して観られたし、そんな人は中々少ないとは思うが。

「恋人が死ぬ」という王道お涙頂戴ラブストーリーであり、セカチューの二番煎じだという揶揄もできよう。ただし、私的には劣化コピーではなく、正当アレンジだと感じた。

世界の中心で、愛をさけぶは、2001年の小説が原作であり、しかも映画やTV版では高校時代は十数年前の回想シーンであるため、そこで描かれる高校生活は現代ッ子にとっては「古典」になってしまっている。おそらくこの点が、現代ッコには物足りないというか、リアリティが足りないと感じられるのだろう。

対して「恋空」は、現代の視点で現在進行形で話が進んでいる。なので、コミュニケーションの手段としてフツーに携帯電話が登場する。会って普通に話すよりも、携帯電話を通じてのコミュニケーションの方がむしろ濃密なくらいだ。この方が今っぽいし、おそらく現代ッコにはリアリティがあるのだろう。

授業サボって図書室でエッチとか、お花畑でレイプされるとか、妊娠→嫌な女に突き落とされて流産とか、正直「なんぞこれ」と思うほどのありがちな「恋物語」と「不幸」のオンパレードなのだが、まあこれが今風の「リアリティ」なのだろうと思う。

あと、セカチューと大きく違うのが、女ではなく「男」が死ぬ点だ。お涙頂戴ラブストーリー好きな女性にとっては、意外に盲点だがここが「恋空」の肝だと思う。ストーリーを自分と重ねたとき、自分が死ぬよりも恋人が死に自分が残される方が「泣ける」のかもしれない。

結局「最期」も携帯電話のコミニュケーションで終了。ただし、レイプとか流産といった不幸も、結局最後に支えてくれるのは「温かい家族」という帰結はおもしろい。つまり携帯電話やデジタルカメラなど恋を紡ぐツールは現代風なのに、結論というか帰結するところは「家族って大事だよね」って、セカチューよりもさらに古典なオチ。

私的な結論としては、ラブストーリーで泣きたい女性は行って損はないと思う。エンターテイメントとして十分楽しめる。男性も、ガッキーのプロモーションビデオを観るつもりで行けばそんなに損はないと思う。ネット上では携帯小説に対してあまりいい意見が聞かれないが、少なくとも映画は酷評するほど悪くはないと思った。